●重さ:3.1g
●ス穴:なし
※出品者は,穴銭をはじめコインの分類について素人です。 この分類は,皆様が目的の品物を探す上での便宜を図るものにすぎません。表記された分類はあくまで参考にとどめ,自己責任で正否を確認されたうえで入札をお願いいたします。
※渡来銭の分類・評価においては,『符合泉志』初編~三編,『古銭大全』丙集上下等を参考にしています。『符合泉志』は,国立国会図書館ホームページで閲覧することもできます。
※銭径・銭文径については,ノギスによっていますが,素人計測なので誤差がありえます。参考程度にされてください。
※当方出品物については,出品者自身は「洗い」や「磨き」などの加工を一切行っておりません。出品者には「洗い」や「磨き」についての知識はありませんので,入札をされる場合には,写真をよくご覧のうえ,自己責任でご判断ください。
南宋時代になると銅銭の鋳造量は大きく減少し,元代になると紙幣が通貨の中心を占めるようになった。
室町時代以後も大量の銅銭(主に洪武通寶をはじめとする明銭)が流入したが,これらの渡来銭だけでは足りず,一方,わが国の政府はこれといった貨幣政策を立てないため,政府の威信はますます弱まり,渡来銭を真似て鋳造した私鋳銭(鐚銭)が横行し,貨幣不足を補う状態が江戸時代初期まで続いた。
永樂通寶は,明の成祖永楽帝(1360~1424)が発行し,勘合貿易で日本は大量の永樂銭を輸入した。この銭は(洪武通寶とは異なり,)明朝がもっぱら輸出用に鋳造したものと考えられる。製作が良かったため市場での人気は高く,田畑の諸役負担の基準高は「永高」と呼ばれ,永楽銭の姿を紋所にした大名もいたほどである。銭銘については,15世紀はじめに最初の遣明船で渡航した仲方中正という禅僧によって書かれたという説がある。
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